銀行さんなどの宣伝でも「遺言サービス」を目にする機会が増えてきました。
では、遺言は、一体、だれがだれに、何のために書くのでしょうか(素朴な疑問)?
まず、「だれが」は、わかりやすいですね。お父さんです。遺言は、そもそも、「遺す言葉」ですから、お父さんが遺していくしかありません。
「誰に」は、遺される人(遺族)ですね。ここまでは、とても分かりやすいですね。
さて、「何のために」は、いかがでしょうか?遺される人に書き残していくわけですから、遺族の「幸せ」を願う気持ちから、自分の意思を伝え遺すためといえるのではないでしょうか。
今まで共に暮らしてきた妻や子ども達に感謝や愛情を伝え、また、財産をどのように使ってほしいか想いを遺していく。必ずしも遺言がなければいけないわけではありませんが、現実的には、子供たち同士では親の財産のことで言いにくいことがあったり、意見が分かれることもあるでしょう。そんな時、お父さんがこうして欲しい、こうするつもりだという明確な判断を遺してあげていたら、少なくても遺産分割においても遺言が大きな道先案内人になってくれるのではないでしょうか。なかなか、生きているときはもちろんのこと、亡くなってからも兄弟間でこうすればいいということも遠慮がちになったり、逆に争いになったり。当のお父さんが、こうして欲しいという遺言さえ残していれば、遠慮し合って合理的な結論が出ないまま、不最適な共有不動産ができたり、争って裁判になったりしなくて済んだのに。
その想いの中には、おじいちゃん子だった長男には自宅をとか、次男が生まれた時に買った軽井沢の別荘は次男にとか、事業を継いでくれた三男には会社をとか。
特に事業を営んでいる場合には、その事業用不動産と事業は切り離せないわけですから、事業承継に遺言は無くてはならないものとなるでしょう。
それぞれの資産と結びつく想いとともに、遺産分割の道しるべを遺言の形で伝え遺していく。すべての資産を俯瞰できるお父さんが遺言を書くことで、子供たち全体から見た最適な分割が可能になるのかもしれません。
愛情をもって遺していく資産が、愛憎を生むなんて皮肉にもなりませんから。